バラバさんのレース完走記その1  
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越後道中膝栗毛        2006年10月14日
越後道中膝栗毛

   序章
 国境の長いトンネル・・・いや違う。皆様、こんばんは、○○でござ・・・。パクリはやめよう。
そう、物語はつくばマラソンの帰り道、アキ魔の囁きから始まった。「バラバさん、ハマちゃんが富士五湖77キロにチャレンジするけど一緒に出ない?」。よくこんなデブにそんな誘いができるなと思った。でも実は自宅には夜久さんの書いた本や、ウルトラに関する資料が結構あった。あまり迷わずエントリーだけはしたような?

  四月
「やっぱりイヤだー」と、駄々をこねるにも係わらず、拉致されスタートに立たされる。しかたない、どこまで試せるかやってみよう。景色は薄化粧のモ○じゃない、雪化粧の富士、絶好である。なんとか苦しみながらもラスト4キロの登り坂もクリアしてゴール出来た。10時間35分、感動のゴールだった(プロジェクト・風)。たくさんの方からお祝いの言葉を頂いて嬉しかったのに、4,5日するとなぜか心に隙間風が。フルマラソン以上はウルトラと呼ばれるらしいが、自分の気持ちの中では、「やっぱり100が本物」が拭いきれない。もちろんそれ以上もあるのだが。

  五月
 普段、GWは嫁さんの実家には帰らないのだが、今年は予算の関係で安上がりに済むように帰省することにした。近場を子供達と散策していると、「感動、そして絆。えちご・くびき野」のポスターを発見してしまう。二年に1度しか開催されない大会。帰宅してからネットで検索しパンフを取り寄せるが、どう考えても自分には無理と悟り放り出してしまう。

   六月
 恒例のBBQラン。ウルトラを熱く語るケイゾウさんの周りで、たくさんの仲間が真剣に聞き入っていた。おそらく近い未来に出場することだろう。一人寂しく呑んだくれているとボクロンさんから呼ばれ、くびき野がいかに素晴らしい大会かを教えていただく。「行っちゃおうかなー」、いや無理、忘れよう。ケイゾウさんはサロマを完走した。

   七月
 悶々とした日々を過ごす。締め切りは今月いっぱい。ケイゾウさんのサロマ完走記を読むと、かなりのドラマがあったようで制限ギリギリのラス1ゴール。おまけに月刊誌には総天然色のド・アップ入り(美味しすぎるなー、あのオッサン)。刺激を受けて、とうとうエントリーしてしまう。それが一週間前。

   八月
 中旬にナンバー引換券と詳しい案内が届く。制限時間等をよく読み返すと、第二関門(69.1キロ)が9時間15分。富士五湖のタイムや、ここまでに四つの山を越えることを考えれば絶対無理な時間だ。(ガーン×100)、そしてここがまさしく実家の目の前、(ああ無常!レ・ミゼラブル)。とにかく走り込もうと気負いはするが、暑さでバテバテ。早朝か夕方の涼しい時間に走り出すが、せいぜい1時間。唯一良かったのは、お盆休みを利用して帰省し、現地の山を走れたことだ。しかしそこも暑かったー、フェーン現象とやらで38℃もありやんの。
 職場にみえるお客様に超ウルトラの方がいて、「辛くなったら歩いてもいい、気持ちを切らさなければ、必ず復活する時が来る」と教わる。
 同士は奥武蔵や鶴沼で着実に距離を踏み、結果を出している。

   九月
 少し涼しくなり走り出すが、二時間が限度。一度だけ雨ランで水元公園往復三時間を走る。そのあと、アキさんの誘いで奥武蔵にラントレに行くことにするが、雨で中止。翌週のケイゾウさん提案の70キロ走は家族サービスのため中抜けで30キロ弱で終わる。

   十月
 最後のロングが出来る五時間走。前日の屋形船で舵を取り損ない、午前様になり参加出来ず(予想はしていたが)。あー情けないこの期に及んで自己管理ができないとは、完全に落伍者である。酒豪で知られる○ぐさんでさえ、勝負レースの二ヶ月前から禁酒を始めるという話を昨日聞いたばかりなのに。
 8日、流山ロードレース10キロ。起伏のあるコースで自己ベストが出た。自慢できる程の記録ではないが。
 翌日、市民体育祭で400Mと200Mを全力で走り、後は本番まで完全休養とする(そういう言葉は一生懸命練習した人が使うの!)。
 13日つまり前日、午後1時半、草加駅集合出発。メンバーはアキさん、モモちゃん、ケイゾウさん、ケイゾウさんの友人F氏と私。車中はケイゾウさんのウンチク話で盛り上がる(やかましい)。高速を走り、山を越えて一路上越へ。途中、実家付近から五つ目の山を案内し受け付け会場へと急いだ。そこで諸々の物を頂き、出口付近で前回大会のVTRを見ていると、役員兼ランナーの方が話し始めた。「ここの山はキツイからねー、特にお兄さんのような体格のいい人は膝にくるよ」だって。はっきり「デブには無理と言えコノヤロー!」、すみません取り乱してしまいました。ムッとしながら会場を後にして、軽く食事をしてホテルで一人前夜祭を終えた後、就寝。

   終章
 当日3時半起床、良く眠れたようだ。4時40分会場に入り、この場所に私を誘ったボクロンさんとグルグル仙人ヨコヤンさんに挨拶をしてスタートを待つ。辺りではたくさんの人が完走の秘訣を語っている。「登りはキツイから歩った方がヨガッペ」、「下りは膝さぁくっから、歩いた方がいいズラヨ」、「ラフに入れたらダボは覚悟だね」、「オイラは生まれた時からホークスのファンなんですよ」、色々である。総合的に判断して「行けるとこまで行って玉砕」作戦とする。
 5時半、「よーいドン」始まった。ペースはキロ何分?そんなもの計れる程の脚は持っていない。アキさんは前へ、ケイゾウさんは後ろ、その中間位で気持ちよく走れるペースを維持する。5キロが33分、以降31〜32分で25キロまでは快走を続ける。途中、モモちゃんと併走した時に、遠くの山に朝日が昇りはじめた。「この太陽が沈む頃ゴールするんだね」とモモちゃんが言うから、「アタシャー、真上に来る頃終わってます」と告げ、次の言葉「毎日、この太陽を見ながら一緒に走れたらいいね」、は飲み込んだ。こんなこと言ったら、亀田親子も納得のKOパンチが飛んでくるのは間違いない(クワバラクワバラ)。

 30キロ過ぎ、いよいよ山登りが始まった。エイドで軽い食事を済ませスタートすると、女学生の応援の歌声がしたので、そこだけ軽快そうに走り抜けるが、すぐにバテて歩いてしまう。すぐにケイゾウさんとF氏、そしてモモちゃんが追い越していったので「いってらっしゃい」とお見送りをした(グッドラック)。
 頂上までは軽トラに3トンの荷物を積んだような状態だったが、下りになったとたん、ブレーキの壊れた空荷のトレーラーに変わり、前を走るランナーを摘んでいった。降りきるとすぐに二つ目の山で、また軽トラ、そしてトレーラーに変わる。45キロは過ぎただろうか?フルのタイムは4時間56分(ヤッター、サブ5だ!)。ここまでに牧区を終える(ボクロンさんの郷だ)。
 しばらく平坦な道を走ると、遠くに折り返しているランナーが見える。「いいなー、この畦道をワープすれば」、なんて大チョンボの発想が湧く。

 47.4キロ、トランジットのあるエイド。中学生が荷物を手際良く運んでくれたが、今の状態では取り替える物はなく、すぐにお返しする。
 少し補給して出発。まもなくして三番目の山へ(ハイ軽トラ)。少し行くと50キロ地点を通過してメールが届いた。5時間59分で、予測ゴールタイムが13時間11分とある。順調に行っても余裕がない(ダメか?)。とりあえず頂上まで行き転げ落ちるように三つ目を終える。
 またしばらく平坦な農道、そして同じように遠くに折り返すランナーが見える。今度は「畦道ワープ」ではなく、「割烹着姿のオバちゃんに変身」作戦で次のエイドへ行きたかった(だって、すぐ横にエイドがあるんだもん)。まあ、そんなことも出来るわけなく、走り抜き、57.9キロのそのエイドでしばしの休息をとる。ここを出るとすぐに四番目の山らしい。
 さあ出発、「なんだー、この壁は!」、滑り降りるには面白そうな斜度だが、歩くのも辛い。しかたなくトボトボと歩き続ける。ようやく頂上を迎え、「さあ走るぞー、あれ?」。大腿四頭筋の機能は弱くなり、おまけに前後左右の微妙な傾斜に、慢性な刺激を受けた左足背部に捻挫の痛みをを感じる(翌日、赤く腫れていた)。得意の下りが走れない。
なんとか着地する足の角度を微妙に変えながら、最大の目的地、第二関門(嫁さんの実家)を目指す。

 ここまでに、安塚区・大島区、再び安塚区を終え、とうとう浦川原区に入った。見慣れた景色の中を走れるのはとても心強い。かすかに実家が見え始め、エイドに向かう角を曲がると義父母が応援に立っていた。「あっ来た!」だって、来ることはないと伝えてあったのでビックリしたのだろう。「ありがとうございます、でももうダメです!」と弱音を吐くと、「だめよー、絶対ゴールしなさい」と義母。そんな無茶なことは言わないで欲しい。よーし、帰宅したらウチの母ちゃんに嫁イビリをして貰おう。どうにか憂いていた第二関門を30分前に通過できた(69.1キロ)。ヘタレて座り込んでいると、「マッサージしましょうか?」と声を掛けられ従ってしまう(これが後にアクシデントとなる、もちろんありがたいのだが)。すこし楽になりシューズを履きなおしスタートすると、すぐに足関節に違和感が。浮腫みが解消しフィット感が変わったようだ。騙しダマシ最後の山を越えると、突然歩くのも辛いほどの腰痛に襲われ(ベッドでうつ伏せになったのが原因か?)、おまけに捻挫した左足にも激痛が走り始めた。立ち止まり回復を待っていると、大会関係車が通りかかり「乗りますか?」、と声を掛けられた。「もう少し行かせて下さい」と断った。9月の「ウルトラを熱く語る会」で、ケンチさんと約束した「制限時間で強制収容されるまでは、自分からはリタイアしない」を守りたかった。匍匐前進で次の給水所まで行き、麦茶を手に取りシートに倒れこんだ。「天は我を見離したかー」、とりあえず痛み止めとサプリを服用し、ストレッチを試みるが、脚を抱えることも出来なかった(74.9キロ)。

 少し休み、とりあえず時間まではと前進する。すると、「来たー!復活」」教わっていたその時が訪れたのである。面白いように走れ、78.6キロのトランジットのあるエイドについた。ここまで来るとは思っていないから荷物など送っていない(なんてマイナス思考なんだ)。ウドンが美味しく二杯頂き第三関門に向かう(あと40分で6.6キロ)。
 粘ってひたすら進み高速の高架をくぐると、前方の国道の信号が赤なので調整しながら辿り着く。先にいた赤シャツの女性と後から来た黄色シャツの女性が一人、そして私の三人が青信号で走り出すと「あと300メートル」と叫ばれた。時間はあと三分あるが結構キツイ上り坂。ここだけは必死で駆け上がり、左カーブを曲がるとカウントダウンの声が聞こえてきた。「10,9,8」ウッソー、キロ3分を切る速さで疾走、「3,2,1」で私が通過、「0」で黄色の女性が通過するが赤シャツは間に合わなかった(温情で通過は許されたようだが)。

ケイゾウさんが羨むような、メイクドラマを成し遂げたエイドは早めに立ち去りゴールをめざし出発する。あと15キロを二時間。
 歩きを交えながらも前進すると、90.6のエイドでケイゾウさんがいた。「おう、来た来た、一緒に休んで行こう」と声を掛けられるが、あの人と一緒に行くということは、ラス1,2フィニッシュで私はブービーとなる。私は濁音の響きは嫌いなので、「余裕がないので先に行きます」と丁寧に断り先を急ぐ。あと9.4キロを一時間半、余裕はない、不安。
 日本海が見えてきたが夕日はない、曇り空。夜間用の反射するタスキをかけてひた走る、残り5キロ4キロになっても不安でしかたがない。ラスト2.6キロ地点の給水であと30分。「ここまで来れば歩いても大丈夫」と言われるが、まだ不安。

 99キロの標示を残り21分で通過した時に初めて「イケル」と確信した。しばらく歩き、感慨にふけた。足元には点々とロウソクの誘導路、ゴール会場からは選手の名前を叫ぶアナウンサーの声。よーしもうすぐ俺の番だ、くびき野に響け「バラバ」の名前!
 最後の右直角を曲がると、赤絨毯に導かれゴールテープに向かう。途中、「あ、バラバさんだ!」、「おめでとう」と声援をしてくれる初老の男女の声が。驚異的なタイムでゴールしたアキさんとモモちゃんだ、ありがとう。

 13時間16分52秒。感動のテープを切ってすぐに神様に祈った。「ありがとうございます、もう走らなくていいんですね」。
 ゴール後は、女子中学生の手厚い介助を受け、ゆっくり休むことが出来た。別れ際に「ありがとう」と御礼を述べ、思わずポケットからお金を渡そうとしてしまった(ヤバイ)。

 以上がヘタレバラバの完走記ですが、なんとかゴールできたのは本当に私の実力に他なりません。ちがう!!!「走り屋」皆様の叱咤激励のお蔭であります、本当にありがとうございました。

 長々とまとまりのない文章を最後までお読み下さりありがとうございました。愛読者プレゼントとして、先読み10名様に、ウンチクケイゾウ伝「越後三山よもやま話」のソノシートをプレゼントします。(いらねーって?)
                                                  おわり