タイガさんのレース完走記その2  
TOP PAGE 最適シューズ選び 最適サプリメント選び 商品一覧 アウトレット商品
店舗紹介 シューズマニュアル 博物館 クーポン券コーナー プレゼントコーナー
ラッピングサービス ご意見・お問い合わせ リンクページ ご注文の前に 訪問販売法に基く表記
走り屋ランニングクラブ 走友会・RC紹介 自慢のランニングコース レース情報 情報交換ボード
 
萩往還(B)完踏記馬   2006年5月18日

<はじめに>
大会の1カ月以上前に腰を痛めてしまい、全く治らなかった。腰痛よりも練習そのものが全く出来なかったことが最大の不安であった。フルマラソンの前でさえ、もっともっと走り込んだのに。
諦めるのは簡単だが、どうするべきか真剣に考えた。このままでは、間違いなくスタート地点にさえ立てそうもない。
大会前は苦しみ、大会中は楽しみ、それぞれウルトラならではの人との触れ合い、機微を大会後2週間が過ぎて思い出した。
萩往還を検討している方には、経験者としての情報を、ウルトラ未経験の方にはウルトラの楽しさを少しでも伝えたらと思い、完踏記を書いてみました。

<萩往還のきっかけ>
昨年のTEAM走り屋忘年会で、来年の目標は150キロ程度のウルトラに出て完走すること、という宣言をした。まっ、かなり泥酔した後で誰も他人の話を聞いていない状況なので、どうでもよいと言えばどうでもよいのだが。
忘年会は連年通り、12月23日。翌24日のクリスマスイブには、宮古島トライアスロン大会の参加通知書が届くかも知れないと、期待半分だった。宮古島トライアスロン大会・・・ロングの大会は初めてであるが、穏やかな海だし、気候的にも良い時期だし、仕事のやりくりをしてベストパフォーマンスで完走できる自信はあった。ただ、自分から進んでどうしても出たい大会ではなく、とあるエロいお姉様からの強いお誘いがあってエントリーしたものであった。
参加通知書には「残念ながら・・・」というものであった。「君は未だその域にあらず」ということであろう。お姉様は、大会委員長に手紙を出すことを勧めてくれた。「大会まで出場するつもりでトレーニングに励みますから、直前でもいいので、もし辞退者が出たら連絡ください」というような内容の手紙をである。以前、私のような状況下で、大会直前に出場を決めて、見事に走り切った人がいたそうである。心優しいお姉様は、私がそのような努力家だと過度の評価をしていたようだ。
だが私の気持ちは既に決まっていた。「萩に行っちゃる」と。出られるかどうか分からない大会に向けて、もともと好きでもない練習に身が入るわけがないからである。なぜ萩にしたのか?それは、宮古島の1週間後で未練を断ち切るためでもあったし、忘年会での約束にも符合するからでもあった。


<トレーニング開始〜ぎっくり腰>
大会まで4カ月ある。とりあえず筋トレやって、週末には長い距離を走ってっと。荒川マラソンもエントリーするけど、すべては萩往還のため。ウルトラペースを守って余裕で走ろう。青梅のトレイルも1カ月前だし、足馴らしに丁度いいな。EZナビウォークに加入してナビを頼りに都内を行き先不明で走る「無目的ラン」を始めたのは、この頃である。
katsuさんから譲ってもらった守谷ハーフと青梅の30キロも練習には丁度良かったし、荒川マラソンも目白の5キロも楽しく余裕で走れた。さあて、青梅のトレイルだと思った矢先の3月末にジムのお風呂でぎっくり腰をやってしまった。「やべっ!」と思ったが、後の祭り。翌日は仕事を休んでしまった。

この頃、総本店で萩往還の走具を求めた。自分の気持ちが切れないようにするためでもあった。ウルトラ用のシューズ、夜間走行用のジャケット、リュック、使い捨て合羽、5本指ソックスであるが、中でも店長お薦めのシューズ「サロマLSDZ」は秀逸の走具だった。スーパーワイドの足型は、シューズの中で足の指が広がる感じであった。(お陰様でフルを走っただけでマメが出来てしまうのに、今回は何とノートラブルであった。)
残るはヘッドランプのみ。ネットで調べたら、松下製の何やら良さげな品があり、価格は5千円〜7千円ほど。登山の専門店に置いてあるというので、休日にヴィクトリアでも行ってみようかと思っていたら、新聞織り込みチラシから798円のヘッドランプを見つけた。「いくら安くても、途中で壊れてしまって、真っ暗な山道で迷ってしまい、コースアウトしちゃ話にならないな」と躊躇したが、一応見に行ってみた。これが何と本格的な物であり、迷わず購入。これで萩往還の走具は揃った。残るはぎっくり腰を治すのみだ?

萩往還の走具は揃ったのだが、ぎっくり腰と練習相手がいなくてやる気が失せていたこともあり、2週間ほど何もしない日々が続いた。当然、青梅のトレイルも出走取りやめである。正直、焦りはあったが、最後の最後で調整を完了させ、何とかなるさという気持ちもあった。ただ、焦る気持ちは日々続いていた。
丁度その頃、コーゾーさんがイタリアから帰ってきた。久々に会ったコーゾーさんは、ややふっくらとしていた。一人ではやる気無しだった私も、やっと練習相手が戻ってきて、コーゾーさんに「無目的ラン」を付き合ってもらうことになった。しかし、イタリア娘の相手ばかりしていたコーゾーさんは、全く体力不足でヘロヘロになっていた。そんな状態であっても20〜30キロを付き合ってくれた。この時期、酷い腰痛にも関わらず、なぜ20〜30キロを走れたのか?それは、デサントの鴻江ベルトを巻いていたからであった。鴻江ベルトのお陰で、この時期、最低限のレベルであるが筋力をキープ出来たと思う。鴻江ベルトは大会本番でも助かった。

とか何とか言っているうちに、GWに突入してしまった。走り屋最初のカップル誕生のお祝いがあったりしているうちに出走日の前々日の5月1日になってしまった。ネットで時刻表を調べたら結構忙しそうな日程である。会社でアウトルックの予定表を見たら、さすがにGWの中日、取引先との打合せが1本入っているだけ。こりゃ、休まなきゃイカン。ウソも方便って、取引先にキャンセル依頼をして無事休むことが出来た。
翌日のお休み(2日)は新幹線切符の予約をしに行ったが、案の定予約席は一杯で自由席のみとのこと。やはり早めに予約しないとダメだねって得心したのだったが、後から聞いてみると発売開始から1時間後には指定席の予約が一杯だったそうである。仕方なく、グリーン席を予約した人も多かったようだが、さすがにグリーン席まではいらないだろうと、早起きして並び、自由席で行くことにした。


<いよいよ出発>
3日の朝、東京駅の新幹線ホームに並び、何とか座ることが出来た。しかし、ここでも大きな間違いをしてしまった。並んだホームは、新大阪行きのぞみ号が出発するところであった。新大阪から博多行きひかり号に乗り換えたが、これがメチャ混み。自由席車両のデッキまでスシ詰め状態であった。新山口に到着する頃には、すっかり足腰にキテいた。

新山口から山口に向かう車内、神戸からの参加という方と一緒になる。この方は、翌日朝スタートの35キロの部に出走されるという。何でも、フルマラソンまでは走れるので、GW期間中の大会を探していたら山口に35キロの手頃なものがあったのでエントリーしたが、コース案内図をみたら高低差にビックリして、今はエントリーしたことに後悔しているとのこと。「事前によく確認しましょ」が出来ていない人って自分以外にも結構いるようだ。
山口駅から他のランナーらしき人達の後をついて、受付会場の瑠璃光寺に行く。ナンバーカードに参加者名簿、参加賞などを受け取り、瑠璃光寺で準備をしていると女性のランナーとおぼしき人から「説明会はどこでやっていますか?」と聞かれる。私は説明会の存在すること自体を知らなかったので、一緒に着いて行くことにした(女性ということもあったが)。近くに本部みたいな家屋があったので、そこで説明会場を聞くと、結構離れた場所であった。道々、話をしていると石川県からの参加であることが分かった。石川県近辺には、立山マラニックぐらいしか大会が無いので、今回初めて萩に来たそうである。「立山マラニック?」一瞬、何のことか分からなかったが、標高0メートルから3000メートルまで一気に登る、凄い大会であることを思い出した。今回の萩140キロも、初参加ながら自信満々である。「凄いなぁ、かっこいいなぁ、エロいなぁ」と徐々に気持ちが盛り上がってきた。

説明会は、初めて聞くことも多く、なかなか有意義な内容であった。中でも、この大会は50人ずつのウェーブスタートとのことで、ゴールタイムは時差を考慮してくれるが、途中関門は通過時刻だけで時差は考慮されないということを知ったのは良かった。ただ、大会主催者の方の説明が非常にくどくて長いのにはちょっと閉口した。
説明会で大体のコースイメージを掴む。

@瑠璃光寺(るりこうじ) 50名ずつのウェーブスタート
Aしゃもじ(14キロ地点にあるエイド。普通の食堂でここで食券を使って食事が出来る)
B英雲荘(22.4キロ地点の最初のチェックポイント)
Cしゃもじ(30.8キロ地点。行きと同じ場所)
D山口福祉センター(43.3キロ地点。着替えが置け、オニギリや豚汁が出る、最初のトランジット)
E佐々並(54.8キロ地点のエイド)
F明木(「あきらぎ」と読む。67.7キロ地点のエイド)
G萩有料道路(73.3キロ地点。萩往還道を抜けて舗装道路に入ったところ)
H石彫公園(79.2キロ地点の2回目の着替えが置ける場所。2番目のチェックポイントで、萩城址の隣にある)
I笠山(88.8キロ地点。無人の3番目のチェックポイント)
J虎ヶ崎(91.5キロ地点。4番目のチェックポイントであると同時に2回目に食券で食事が出来る場所)
K東光寺(99.7キロ地点。無人の最後のチェックポイント)
L萩有料道路(107.1キロ地点)
M明木(110.7地点)
N佐々並(120キロ地点)
O瑠璃光寺(ゴール。140キロとは言うが、実際の距離は135キロくらいとのこと)


<走友と会う>
説明会場でyokoyanさんと会った。yokoyanさんは、前日に山口入りして、イマジンさんのスタートを見送ったそうである。イマジンさんはピンランを着て颯爽とスタートして行ったそうだ。yokoyanさんもピンランで頑張ると気合いが入っていた。よっしゃ、私もピンランで頑張ろうっ!!

説明会後、着替え&荷物預かりの洞春寺に着いた。「彪さん」という声が聞こえたような気がした。空耳だろうなって思ったら、また聞こえた。洞春寺の奥隅まで目を凝らして見てみると、何と○態の親玉Y井さんが居た。Y井さんは萩往還は10数年振りの出走で前回のリベンジだそうである。「よく分かりましたね!?」と聞くと、親玉のY井さんは同じジムのピロさんから私がエントリーしていることを知っていて探していたそうである。とりあえず、よく知った人が一緒だったので安心した。親玉さんは、関門が厳しいので第1ウェーブでスタートするとのこと。私も第1ウェーブでスタートすることにした。


<ついにスタート>
第1ウェーブでスタートするため、1時間ほど前にスタート地点の瑠璃光寺に向かった。萩140キロのトランジットは43キロも山口福祉センターと80キロ地点の萩城址石彫公園である。私は43キロ地点のトランジットはパスし、80キロでの着替えを用意した。着替えはもちろん、勝負服のピンランである。ところが、折角1時間前にスタート地点に行ったのに、このトランジットに預ける準備がされていなかった。大会関係者と思われる人に聞いてみたが、全く要領を得ない。やっとトランジット行き荷物を預ける場所を見つけ、第1ウェーブに入ることが出来た。yokoyanさんも第1ウェーブの先頭付近に居た。そこでyokoyanさんに女性ランナーを紹介してもらう。何と、昨年だったか日本一周ランを達成した方ということ。どこかで噂には聞いていたが、とても日本一周ランをやってしまう方とは思えない、ごく普通の方なので尚更驚いた。私が走り屋でお世話になっていることを知ると、日本一周さんは「走り屋さんですか?走り屋さんは、わぐさんはカッコイイんですがね〜」と言っていた。「わぐさんはカッコイイ」という表現の裏を考えてしまう。「君はカッコワルイね」だろうか?「yokoyanさんは変な人だね」か?

とか何とか考えているうちにスタート前の「エイエイオー」が始まった。「えっ?エイエイオー?」やりたくは無かったが、周囲に合わせて小さく「エイエイオー」とやった。何だかワケが分からないうちに前のランナーが走り出していた。いつの間にかスタートの時刻になっていたのであった。
今まで出走した大会は、ウルトラと言えども誰かがビューっと行くものだが、誰も行かなかった。極めて穏やかなスタートである。1キロも行かないうちに満を持したようにyokoyanさんがスッと抜け出した。それでも誰も付いていかない。あくまでもスローペースだ。そのまま走っていると、yokoyanさん達が43キロ地点のトランジットに荷物を置きに山口福祉センターに向かい集団から抜けた。いつの間にか先頭集団を走っていた。
先頭集団の先頭は、山口県のナンバーカードを付けた若い選手だった。案内もはっきりしないコースで、地元山口県の選手。しかも萩往還のネームプレートを3枚も付けている経験豊富な選手の後だから安心である。しかし、どこまでもスローペース。親玉さんが、さりげなく過去のペースについて聞いたところ、山口県の選手君は過去2回とも関門に引っ掛かり今回は3回目のチャレンジで何としてでも完走を目指していることが分かった。「こりゃ、イカン」と親玉さんの顔が曇り、親玉さんと私はペースを上げ、本当の先頭集団になってしまった。
ところが道が分からない。防府に向かう途中の「しゃもじ」という食堂までは多少は迷いながらも何とか先頭集団で行けた。「しゃもじ」では饂飩が出るのだが、まだ食事には早いとお茶だけいただき饂飩はパスした。「しゃもじ」を過ぎてすぐに右折し、暗い山道に入った。早速、親玉さんは懐中電灯を取り出し灯し出した。私も798円のヘッドランプをリュックから探したが、親玉さんはこれで十分と私が荷物を探す手を制した。「何と798円ですよ」と少々自慢げに話したら、親玉さんの懐中電灯は百円均一の商品とのことである。でも、電池は別売りだったそうで、電池も百均で4本当100円の物を使っているそうである。いやはや、逞しいお方である。
山道を走っていると、「おっ、この匂いは?」と懐かしい香りがしてきた。お線香の香りである。萩出発前にネットで調べたら、防府に行く途中で火葬場側を通るとのことであった。火葬場らしき建物が見えたので近寄るべく、どんどん山道を登った。ところが、「火葬場の近くを通る」とは聞いていたが、「霊安室」と書いてあるところに来てしまい、明らかに火葬場の中まで入り込んでしまった。どこかに火葬場からの出口があるに違いないと一所懸命に探したが、見つからず来た道を下っていった。親玉さんと私は、やはり道を間違えてしまったようで、ここで約30分、急な上り坂を駆け登ったダメージを入れるとそれ以上のロスをしてしまった。でも、親玉さんと一緒で良かった。いくら男とは言え、真っ暗な鯖山峠で火葬場の霊安室に一人で行ったら怖かっただろうなって思った。
マラニックとは、「マラソン」と「ピクニック」を合わせた造語。何やら楽しそうな響きに聞こえるが、全く違う。マラソンであるが、ピクニックのように地図を頼りにするコースがいい加減な大会なのである。参加していた選手は地図にカラーマーカーで印を付けて、雨対策でポリの袋に入れて手に持っていた。私は全く見ずに、そのままリュックに入れていただけである。間違えるのも無理がない。
間違えた二又地点で桶川から来たF原さんと会う。F原さんは、埼玉からの夜行バスで親玉さんと一緒だった方だ。私よりも6歳若いが、最初は慎重に入ったようだった。

防府市内に入り、英雲荘に到着。22.4キロ地点の英雲荘に入る前でyokoyanさんと会う。英雲荘では、凡そ40番目とのこと。火葬場で相当遅れてしまったことを改めて認識した。
お腹が空きまくりで、英雲荘ではパンや梅干しを食べて出発した。英雲荘から帰りのしゃもじまでは7〜8名の集団で走行した。大きな道路の歩道であったが、足元が見えなくなったので798円のヘッドランプを点灯した。

帰りのしゃもじ(33.8キロ)では、行きに使わなかった食券で「たまご饂飩(こちらで言う月見饂飩)」を食べた。お店の方も大勢で調理や接客に大忙しの様子だった。ちょっと、お腹がタプタプしていたが気にせず山口市内を目指し走り出す。いつの間にか、先程の集団が固まってきて一緒に走っていた。


<最大のハプニング>
親玉さんとF原さんと私の3人は、山口福祉センター(43.3キロ)に到着した。ここで、オニギリ2個と豚汁が出た。ここでこの大会最大のハプニングが起きた。フルマラソンの距離を走って頭がボーっとしていたのか、梅干しの種をガリって噛んで差し歯が壊れてしまった。「いや〜、最悪。こりゃリタイアするしかない」と考えたが、ゴールデンウィークで歯医者さんもお休みだし、折角ここまで来たのだからって開き直って走ることにした。これからサロマ湖100キロマラソンを走れば良いって前向きに考えた。

山口福祉センターを出てしばらく走ると、「萩往還」の石碑が立っている山道に入った。噂通りの石畳である。石畳をしばらく走ると、とんでもない上り坂になった。「何じゃ?こりゃ?」って今更ながら驚き、すぐに歩きだすことにした。ところがこの坂が半端ではない。急ぎ足で登るのだが、息が上がり心拍数バクバクである。夜も更けて寒くなってきていたが、汗ビッショリになった。しかも真っ暗で先が見えない。足元をヘッドランプで照らしているだけ。一体、この上り坂がどこまで続くのか?いい加減、嫌になってきた。
と、しばらくすると舗装された国道に出た。「やった。走ろう」と走り出したが、舗装ながら上り坂がきつい。たちまち歩きに戻った。
国道を走ったり歩いたりしていると白線で矢印が書いてあり、再び萩往還道に導いているのであった。余談になるが、一昨年は強い雨で、この白線が流れ出し、消えてしまってコースを間違えた選手が多々いたそうである。この、終わったと思えばまた萩往還道入りが何度も何度も繰り返され、佐々並のエイド、明木のエイドを通過し、苦難の萩往還道を抜けて、やっとのことで萩有料道路に出た。
明木に出る手前でも道に迷ってしまった。二又に別れていた道を見落として右側に進んだら行き止まり。「何で?」って辺りをしばらくウロウロしたが道が見つからず、来た道を引き返すと実は二又に別れていたことを知る。明木は萩往還道を走っている途中にあった集落だが、平屋建や二階建の家が両側に建ち並び、道の真ん中に雪解け水を流す排水路が整備されている美しい街並みであった。エイドの若い男の人達は、とても礼儀正しく、キビキビと選手の接待をやってくれていた。明木は、行きに通過した際は真夜中であったが、帰りに通過した際は翌日の午前中で「萩往還祭り」なるものが開催されていて萩焼きなどが売られていた。

萩有料道路から萩市内に入り、萩城址を目指した。ここでもハプニング。白線矢印に従って国道を渡って左折。渡ったと思えば、また左折の白線矢印。「んっ?」と思ったが従って渡ったら、今度は元来た方向への白線矢印。これらの矛盾する白線矢印に、親玉さん、F原さん、私の3名は考え込んでしまった。その時、後から凄いスピードで選手が走ってきた。その選手も我々と同じように左折を2回して「んっ?」と立ち止まってしまった。この方は「この時間に、この場所では完走は無理。せめてあと1時間は早く通過しないとダメです。でも最後まで頑張りましょう」と言っていた。我々より先には40名程度しかいないはず、それより1時間早い通過となると、ほとんどの人が完走出来なくなるという計算だ。24時間の完走は、そんなに大変なことなのか?と頭がガーンとなったが、どうしましょうと一緒に4人で考えていると、後から来た人は「分かった。この白線はイタズラだ」と結論を出して萩有料道路からの道を直進していなくなってしまった。

親玉さんは、「ここに居ても仕方無いので、あの人に付いて行こう」と言ったが、私は地図を取り出して、ジックリ来た方向と大体の位置を割り出し、真っすぐではなく左だという結論を出した。左折してしばらく走ると道に萩城址を案内する白線があった。良かったと安心するとともに、さっきの人はどこで気が付き戻るんだろう?と心配した。萩城址隣の石彫公園に近づくと、前をゆっくり走っている選手が2〜3名見えた。近づくとナンバーがA○○○と250キロの選手であることが分かった。「うゎ〜、痛々しい」と思いながら「頑張ってください」と声を掛けて抜いていった。250キロの選手は石彫公園ではチェックポイントにはなっていないので直進。我々140キロは、チェックポイントのため左折して石彫公園に入った。

石彫公園ではチェックシートにパンチを入れてもらい、スタート前に預けておいたトランジットバッグを受け取る。親玉さんは、最初から最後まで同じウエアだったが、F原さんと私は日中の萩王冠道越えに備えて半袖に着替える。Tシャツの上には、もちろんピンランである。親玉さんは「おっ、いよいよ出たね」と言い、私も「これからモードが変わりますよ」と応じた。


<走り屋の元気を貰う>
萩城址・石彫公園を出てしばらく走ると空が白み始めた。萩市内から眺める日本海の海岸、島々は絶景であった。リアス式海岸では?と思わすような複雑に入り組んだ美しい海岸線は、走ることに少々辟易としてきた我々3名には大変ありがたかった。これからまた萩往還道を帰って行く250キロの選手と140キロの選手に対する餞別にも思えた。海岸線を走っていると笠山らしき半島が見えた。ここが3番目のチェックポイントだと、また少し元気が出る。笠山に向かう道で前方を走るピンランを発見。イマジンさんである。追いつき声を掛ける。「いや〜、眠くて〜」という話。そりゃそうだよね〜って言ったら、F原さんも実は萩城址に入る前に大変な睡魔に襲われたとのこと。私は何故か眠くはならなかった。

笠山に入るところで、笠山一周を終わってきたyokoyanさんと会う。イマジンさんと会いましたよって伝えると増々元気に走り去って行った。笠山に入るとまた上り坂が始まった。自販機があったのでモーニングコーヒーを買って飲みながら歩いて登った。走ったり歩いたりしながら笠山山頂のチェックポイントに到着。ここは無人でパンチ器のみが置いてあり、自分でチェックシートにパンチ穴を空けた。
笠山からは下り坂で3キロも走らないうちに4番目のチェックポイントである虎ヶ崎に着く。ここでもチェックシートに穴を空け、食券を使って食事をした。食事はカレーライスか饂飩定食。カレーライスを食べている人が多かったので我々3名もカレーライスを注文。これがよく煮込まれていて具がルーに溶けていて無茶苦茶うまかった。後から聞いた話だが、虎ヶ崎のカレーライスは萩往還マラニックの名物で、多くの選手がこのカレーライスを目指して走ってくるそうだ。
虎ヶ崎で驚いたことが一つ。ウルトラなので多少のお金を持って走っているのだが、この虎ヶ崎の食堂で生ビールを注文してカレーライスと一緒に美味しそうに召し上がっている猛者がいたのである。我々も嫌いな方ではないが(むしろ大好物)、さすがにまだ朝の7時だし、フルマラソン以上の苦行も待っているし、しかも行きで懲り懲りだった萩往還道を帰るのである。ゴクリと喉を鳴らしただけで、目の毒とばかりにそそくさと虎ヶ崎を後にして最後のチェックポイントである東光寺を目指した。

東光寺に向かいながら、陽はどんどん高くなり気温が上がってきた。やはり今日は暑くなるなと確信する。段々と親玉さんとF原さんが無口になり、二人の走るスピードも遅くなる。いつの間にか私が先に行ってしまって、置いていくこと数度。何とか3人で東光寺のチェックポイントに辿り着き、チェックシートに最後のパンチ穴を空ける。
ここで、携帯にコーゾーさんから「萩往還道の峠は越えたかい?」というメールが届いた。「とっくに越えて、今100キロ地点。これから帰りの萩往還道に入るところ」と返事を返す。その情報を転送してくれたのか、コーゾーさんの他、はまじやムッキーからも激励メールが届き元気になった。
東光寺から萩有料道路に向かう長い長い上り坂。ここでついに親玉さんが離脱。「俺のことは構うな。先に行って必ずや19時間切りを狙ってくれ。俺は後から20時間切りを目指して走る」ということであった。私は時計を見て、これから通る萩往還道のコースを考え、「無理ですよ〜。でも、完走目指して頑張りましょう」と親玉さんと別れた。
萩有料道路のエイドまでF原さんと一緒に走り、いよいよ萩往還道に入るポイントまで着いた。そこからは各々自分のペースで走ろうということになり、私が少し先行する態勢でほぼイーブンペースで萩往還道を走った。
ここで行きから徐々に痛めていた足首と足底筋が悲鳴をあげ始めた。萩往還道は、かなりの部分が石畳である。石畳と言っても、江戸時代に出来た道なので、いわゆる平石を敷き詰めた石畳とは違って、丸石を敷き詰めた石畳である。下りでは特に、丸石のとんがった部分を土踏まずで踏んでしまい、足底筋を痛める。また、暗い場所で着地ポイントが確認出来ない中、足を着いて足首をグキっとやってしまう。それを何度も何度もやっていて、ついに帰りの萩往還道では痛みが堪え切れなくなってきた。ここで予め持っていったバンテリン・クルーミーゲルと鎮痛剤(イブプロテイン)を飲んで痛みを抑えた。無理やり痛みを抑えたので、終わったら酷いことになっているだろうなって覚悟は決めていた。どのみち、8月の奥武蔵までは大会は無いさと。

明木のエイドに着いた。夜中に通った時とは打って変わって大勢の人が出ていた。「萩往還祭り」というものが行われていて、観光客も大勢いた。


<完踏を確信する>
帰りの萩往還道では、朝6時にスタートした70キロの選手、35キロの選手とすれ違う。皆、「おはようございます」と声を掛けたり、パチパチパチと拍手をしてくれたり、「お帰りなさい」と言ってくれる。60キロと35キロのウォークの部に参加している小学生までもが拍手をしてくれる。小さいながらも、選手のナンバーを見て、その選手が今までどれだけの距離を進んで来たのか分かっているのだ。子供からも拍手され、ピンランを身に纏ったからには無様な格好は出来ない。腰高フォームに気を付け、萩往還道を駆け抜けた。明木エイド手前で新山口〜山口の車内で一緒だった。神戸から35キロの部に参加の男性とすれ違う。お互いに励まし合い、すぐに別れた。神戸の男性、心配していたけど、萩往還道も終盤まで来たので無事に完走できるなって顔が緩んだ。
佐々並エイド(120キロ)の手前で、サロマ湖でお世話になった牛久の鉄人「ホルさん」と会った。ホルさんは、萩往還道にある庵の椅子に腰を掛けてカロメを片手に虚空を見つめていた。同時に気づき、「お〜、これはタイガさんではないか」と声を掛けていただいた。ホルさんの風貌は、とても230キロ走ってきた人とは思えず、つい先日亡くなった俳優の田村高廣さんが旅の僧を演じているような雰囲気であった。私のナンバーを見て「140キロに参加して、ここに来ているということは、来年は一緒に走れるかな?」と言っていたが、「それとこれとは別ですよ」と言い、挨拶をして先に佐々並エイドに向かった。

佐々並エイドでは、美味い手作り豆腐が出た。疲れた身体には最高のご馳走であった。佐々並を過ぎて5キロほど走ると、今度は小学生の子供が「こっちへおいで」と手招きしている。行ってみると、手作りのお餅(豆大福)を振る舞ってくれていた。ここのお婆ちゃんの自慢のお餅で、毎年、萩往還を走る選手のために夜通しでお餅を作ってくれているそうである。数年前、心ない人達が車で来て、ゴッソリお餅を略奪して以来、作るのを止めてしまっていたが、大会委員長の説得とお願いで復活したばかりとのことであった。大きなお餅でお腹には堪えたが、美味しくいただき、萩往還道の終盤を進んだ。
自分もそうだが、萩往還マラニックもこの辺りに来ると上りは歩く人がほとんどである。そこで気が付いたのだが、Aナンバーを付けている250キロ出走の人達は、上り坂を歩くのがとても速いのである。一緒になって歩いていると、どんどん置いていかれる。何年か前、250キロを28時間で完踏した人がいたそうであるが、そういう特別な人以外は250キロを走り通すことはなく、必ずどこかで歩くのであろう。その時、いかに速く歩けるかが完踏の大きなポイントなのであろう。

萩往還道の終盤で何人かBナンバー140キロの選手を抜いた。皆、ヘトヘトのようだが、増々絶好調になってきた。石畳を駆け降りて行き、目の前が急に開けたと思ったら、萩往還道の出口に着いていた。ところが、舗装道路が2方向に別れていて、どっちに行ったら良いのか分からない。前にも後ろにも選手が見えず、仕方なくリュックを取り出し地図を広げて考えてみたがさっぱり分からない。そうこうしているうちに、先程抜いたAナンバーの人やBナンバーの人が追いついて来て、聞いてみたら真っすぐだと言う。ただ、真っすぐ行っても、また道が分からなくなるので困ったなぁ、この人達のペースで行くしかないのかなって思っていたら、颯爽と走って行く選手がいた。Cナンバーを付けた70キロの部トップの選手だ。
「あっ、この人に付いて行けばいいんだ」とすぐに後ろに付いて走りだした。キロ5分くらいのペースで付いていったが、Cナンバーの人は気配を感じ振り向いたが、下り坂でペースを上げられ突き放されてしまった。ただ、残り2キロくらいの場所まで来ていたので、道は分かりそうであった。夜中に通った場所なので、はっきりとは覚えていなかったが、ダムみたいな川みたいなコースを下り、街並みが見えてきた。Bナンバーの選手をまた一人捕捉。応援の女性が「あと、1キロくらいですよ」という嬉しい声援。ボランティアの人が右折するようコース指示をしている。右折する。見えた。瑠璃光寺だ。目測で約200メートル。道の両側では、瑠璃光寺門前のお土産屋さんが店前で応援している。大会関係者が笑いながら、ハイタッチ。トランシーバーを横にしながら「B109、ゴール行きます」という声が聞こえた。何だか分からないが無茶苦茶嬉しい。瑠璃光寺の門をくぐり、左折するとゴールテープが目に入った。カメラマンも構えていた。そしてスピードを緩めることなく、ゴール。


<ゴール後>
ゴール後、大会役員によるチェックシートの確認。完踏の証しとして「萩往還」の石碑マスコットを貰った。このマスコット、何度も何度も出入りした萩往還道の入り口に立っていた石碑を木製で作ったものである。数十時間に渡り苦しめてくれた萩往還道のマスコット、こうして見るとなかなか可愛い。
家族や弟、竜巻組の面々に「ゴールしたよ」とメールを送る。「おめでとう。今回は絶対無理だと思った」との返事にガックリ。

走り終わって、早速門前のお土産屋さんに行き、虎ヶ崎では我慢した生ビールを買って、門前に座り込み飲んだ。「う〜ん、最高」ちょうど昼の1時半。至福の時である。しばらくするとF原さんが帰ってきた。嬉しさで顔がクシャクシャだ。帰りの萩往還道では、脚を痛めてしまってリタイアが頭を過ったそうだ。
約束通り、親玉さんは20時間前に帰ってきた。空のペットボトルを2本両手に持ち、パンパン叩きながら余裕のゴールである。その間、250キロの牛久の鉄人ホルさんも余裕でゴールしていった。

洞春寺に行き、着替えを済ませて、親玉さんと私はお土産屋さんに入りビールを飲む。お土産屋さんの表でグルグル仲間と一緒にいたyokoyanさんを見つけた。yokoyanさんの携帯に電話を架けて3人で飲む。何とyokoyanさんは17時間27分で8位(後から別ウェーブからスタートした人が上位になり9位になったが)になったそうだ。18時間を切るというのは、何人もいないと聞いていたが、大幅に下回ったというのはビックリであった。
親玉さんは、その日の夜行バスで帰るというので、大会運営者が用意した銭湯に行くと言う。私はイマジンさんのゴールを待つため、そこで別れた。
午後4時過ぎ、遠くにピンランのイマジンが見えた。瑠璃光寺前で声を掛けたら笑って手を振った。ナポ店長に送る写真を撮ったが、感動のあまり手元が狂って顔が写らずピンランだけが写っていた。
ゴールしたイマジンさんと話をした。私が湯田温泉に泊まることを告げると、イマジンさんも湯田温泉に行くのでそこで飲みましょうということになる。イマジンさんは、その辺で水を浴びて着替えてから行くので、先に行っていてくれと言うので、瑠璃光寺前でタクシーを捕まえ一足先に湯田温泉に向かった。
予約していった旅館は湯田温泉街の外れ、湯田温泉駅寄りにあった。ご主人が山口弁で暖かく迎えてくれた。予約の際、宿代は確認していなかったのだが、何と3800円程度であった。素泊まりとは言え、格安旅館である。ご主人は温泉に案内してくれたが、まだ時間が早かったので浴槽にお湯を溜めているところだった。シャワーでお湯を浴びて初めて分かったが、ひどい股擦れとリュックによる腰擦れで飛び上がるほど痛かった。お風呂で汗と埃を落とし、湯田温泉街に出掛けた。既に走り終わった選手らしき人も、こじゃれたホテルの前でおしゃべりをしていた。辺りをノンビリと散策しているとyokoyanさんからメールと電話が入った。イマジンさんが私の携帯に架けても繋がらないので、間違っていないだろうかということであった。そんなはずはないのに、とイマジンさんに電話を架けて湯田温泉で合流出来た。
全国チェーンの居酒屋さんはあったのだが、湯田温泉の観光案内所に行き、お薦めスポットを聞き、韓国家庭料理のお店に行くことにした。
イマジンさんとは、ツッキーさんのお友達がやっていた京都祇園のお茶屋さんで飲んで以来だった。イマジンさんは、私に「渡したいものがある」とバッグから取り出したもの。それは綺麗に製本された萩往還250キロの地図であった。
それをありがたく受け取り、翌日に法事があるというイマジンさんを湯田温泉駅まで見送りに行って、そこで別れた。

宿に着くと急に睡魔が襲い、いつの間にか寝てしまった。夜中に外を歩く人の話し声や腰の擦り傷による痛み、そして不意に石畳が見えたようで何度か起きた。その他は、ほぼぐっすり眠れたと思う。
朝起きて、筋肉痛の身体で階段を降りて、宿の玄関に行くと泊まり客の靴が並んでいた。靴の中には紙箱入りの萩焼きのぐい飲みがお土産として入っていた。値段は安い上にサービスも嬉しい。
重い脚を引きずって湯田温泉に着くと、すぐに新山口行きの電車が来た。気が付くと4人向かい合わせの座席に座り、バッグからイマジンさんからいただいた地図を取り出して眺めている自分がいた。
来年は初めから宮古島の申し込みをやめて、山口に来ようと思った。